テオからディナーの誘いがあった。
といっても、二人で食事に行くという訳でなく、テオが働く店へ。
ローマの外れにある人気店、カゼッタ・デッロルソ。
今まで何度行きたいと言っても拒否されて来たというのに。
今日に限って、何故だろうか。
mutuo affetto
空が茜色になる頃からずっとそわそわしていた。
何を着て行こうか悩み、一人でファッションショーを繰り広げた。
結局何が良いのか判らなくなり、
最初に選んだ無難なワンピースに落ち着いてしまったけれど。
「あの人がテオの恋人?!」
「ニコレッタ、あまり出ちゃ駄目ですよ」
テオに 「彼女とか居るの?」 と聞いたニコレッタは、フロアを覗き込んで小声で叫んだ。老眼鏡の紳士達が出迎えてくれるこのリストランテで見習いシェフをしている彼女は、
フロアに出ない事を約束に働いている。
カメリエーレ長のクラウディオに優しく注意されたが、
キッチンへ戻って来ても、興奮冷めやらぬ様子。
「ちょっとテオ!彼女、凄い若いんじゃない?!」
「お前より年上」
「そうなの?」
東洋人は若く見えるって言うけど…と、ニコレッタは一人でブツブツと言っている。
そんなニコレッタを見ながらテオは大きく溜息をついた。
店に女を連れて来た事が知れればこうなると判っていた。
だから大事にしない為にこっそり席を取っていたというのに。
予約の確認をクラウディオじゃなくてヴィートにしたのが間違いだったか。
「何で今まで黙ってたの?あんなに可愛い彼女が居て」
「だから違えって」
「何それ、恋人じゃないって事?」
「……良いから仕事しろ!」
次々と質問を投げ付けるニコレッタをギロリと睨みつけ、強制的に会話を終わらせる。
後ろの方でフリオが可笑しそうにしていたが、面倒だから気付かないフリを決め込む。
どうして女はこの手の話しが好きなのだろうか。
テオは小さく舌打ちしてからドルチェを盛り付け、皿を片手にフロアへ向かった。
*** *** ***
とても来たかった店とはいえ、一人でのディナーは少し寂しいかも知れない。
テオが働く店だけれど、彼が一緒な訳ではない。
頭の片隅にそんな想いがあったけれど、それは取り越し苦労のようだった。テオの知人である事は皆知っていたようで、
ソムリエやカメリエーレが代わる代わるに声をかけに来てくれた。
噂以上の絶品な料理と、素敵な紳士達に囲まれた楽しいディナー。
それも残すところドルチェのみとなっていた。
ドルチェはきっとテオが作ったものだろう。
心躍らせてそれ待っていると、急に店全体がざわつき始める。
人影を感じて顔をあげたは、
そこに立つ、ドルチェを運んで来た人を見て思わず目を見開いた。
「テ、オ?」
「…本日のドルチェです」
一応敬語を使っているものの、
彼らしいぶっきらぼうな言い方でテオはの前に皿を置いた。
店中からヒソヒソという小さな話し声が聞こえ、
その視線は二人に向けられている。
「テオ、人気あるんだね」
「フロアに出ねーから珍しいだけだろ」
テオの言う事もあるのだろうが、彼に人気がなければ注目もしないだろう。
はそう言おうとして飲み込んだ。
テオは自分が注目されている事が本当に嫌そうで、
これ以上何か言ったらキッチンへ戻ってしまいそうだったから。
人前に出るのが嫌だというのに、自分の為にフロアに出て来てくれたのが、は純粋に嬉しかった。
「早く食え」
「…あぁ、そうだね」
ジェラートが少し溶けてきているのを見て、はテオから皿へ目を移し、口へ運んだ。
ひんやりと甘酸っぱいジェラートが口の中に広がる。
突っ立ったままのテオから見下ろされている状態のままなのが、若干気になるが。
「ん、美味し」
「当たり前だろ」
至極当然のように返したテオだったが、少し頬が高揚している。
彼のぶっきらぼうな口調は、照れ隠しでもある。
はそれが愛しく、微笑みながらスプーンでパンプキンプリンを掬った。
「何が可笑しい」
「ううん、テオが来てくれて嬉しいだけ」
誤魔化すように、でも本心でそう言うと、テオは顔をカッと赤くし、
「…バッ、」 と大声を出して、残りは飲み込んだ。
馬鹿、と最後まで言わなかった彼は、ガシガシと頭をかいた後、
ドカリと向かいの席に座る。
浅く腰かけ、背もたれに寄り掛かり、長い足を組んで盛大な溜息をひとつ。
ハッキリ言って行儀は良くないが、テオにはそれが良く似合っている。朝、新聞を読む時も同じ格好で、はそれを見るのが好きだった。それを彼の職場で見る事が出来るとは思わず、心がくすぐったい。家に居る時と同じだというのに、どこか何かが違う。
「あのよぉ…」
出した声が自分でも驚く程不安気な声になってしまったせいか、の視線がドルチェからテオに移された。
どうしたの?とでも言いたげに、じっと見つめてくる。良い歳して、ガラでもないのは判っているが、無駄に鼓動が早くなっていく。
「…そろそろ、なってみるか?」
「は?」
言葉足りずになってしまったのはテオ自身わかった。
けれど他の言葉が出てこなかった。目をぱちくりとさせてテオを見つめる。一体何をやっているんだ俺は。テオは、「らしくねーな」 と呟きながら自身に渇を入れ、心を決めてを見据えた。
「曖昧な関係は終わりにして、ちゃんとした関係にしねーか。俺ら。」
ハッキリと、そう伝えた。テオの言葉と同時に、フロアがしんと静まり返る。側にいたクラウディオは自分の事のように顔を赤くして固まっていた。あのルチアーノも驚きで眼鏡が傾いている。はというと、目を真ん丸にして唖然としていた。
「…あの、テオ…それって、もしかして、告白?」
「それ以外に何があるっつーんだ」
曖昧な関係にケリをつける。今日はそのつもりでをここへ呼んだのだ。テオにとって、大切な場所へ。良い返事だろうが、悪い返事だろうが関係ない。このままで良い訳がない。それは、自分にとってでなく、にとって。そう考えていたのに、が言葉を発する為に息を吸った時、ドキリとした。声が聞こえる迄のほんのわずかな時間が、妙に長く感じる。
「ねぇテオ、私は好きでもない男と寝る女に見える?」
「はぁ?」
突拍子のない質問がから飛び出し、テオは眉間に皴を寄せた。けれど、上目使いで人を試すような、挑発的なの視線にハタとする。がこういった顔をする時は、必ず言葉に意味をもたせている。これは、
「…それ、返事か?」
「それ以外に何があるっていうの?」
テオの言葉を真似し、得意げな顔をしている。こずいてやろうかとも思ったが、すぐ後に聞こえて来た 「嬉しいな」 という呟きに免じて許してやる事にした。
食後のカプチーノが運ばれて来た。二人分。
他の客が居る前で、それも仕事中にテーブルに座ってカプチーノを飲んでいるなんて、ルチアーノ辺りは文句のひとつでも言いそうだけれど、今日は大目に見てもらおう。
いつもの朝と同じように向かい合って座るその光景は、いつもと違う。
改めて…などとは決して口には出さないが、曖昧な関係に、今日で卒業。
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