「いるといえばいる、いないといえばいない」
そうテオが返したのは、昨日の午前中の事。
ニコレッタからの、彼女とか居るの?という質問への返事だ。
曖昧な返事に首を傾げたニコレッタへ、 フリオは 「照れてるんですよ」 と耳打ちしていたが、そうではない。
との関係は、本当に曖昧なものだから。


fumata nera



小鳥が囀り、薄いカーテン越しに淡い光りが差し込み、テオは目が醒めた。 固まった身体を思い切り力を入れて伸ばし、そのままごろんと横を向く。


(白人より白いってどうよ…)


真っ白な小さな背中が目に映る。 青白い血管が透けて見える程の、日本人だというのにあまりにも白い肌。 テオは、毎夜自分の上で彼女のその肌が扇情的に赤く染まるところが堪らなく好きだった。 自分の浅黒い指先を延ばし、目の前にある背中つぅとなぞると、はピクリと反応した。 小さく呻き声をあげ、少しの間の後、こちらを向く。


「…テオ、おはよ」

「おう」


眠たげに目を擦るの腕を掴み、それを止めさせる。 目が傷付くからやめろといつも言っているのに、もう癖になってしまっているらしい。 は一瞬恨めしそうにテオを見上げた後、あくびを噛み殺した。


「今、何時?」

「…9時前」

「そっか。早く起き過ぎた」

「そんなに早くねーだろ」

「休みの日はゆっくり寝てたいのですぅー」

「あ、そ。」


再び蒲団に潜り込むを無視して、キッチンへカッフェを淹れに行く。二人分。
アパートの隣に住むとは、最初、挨拶を交わす程度の仲だった。 出会ってから半年で肌を重ねるようになり、その関係からまた半年が経つ。 ただ、それだけの仲。
テーブルにカップを置いて新聞を広げていると、ようやくがもぞもぞと蒲団から顔を出す。 淹れたてのエスプレッソの香りに誘われたのだろう。


の分も出来てるぞ」

「うん、ありがと」


シャツを羽織っただけのだらし無い格好で、まだ眠そうにトテトテとテーブルまでやって来る。 椅子にちょこんと座り、小さなカップを両手で包んでフーフーと懸命に熱を冷ますその姿は、 小動物以外の何者にも見えない。 日本茶も高温で飲むものだと聞いた事があるが、あれ、嘘だろう? 少なくとも猫舌のには到底無理だ。 そんな事を考えながら新聞をめくり、面白気もない記事に目を通していると、がじっと見ている事に気付く。


「…何だよ」

「眼鏡」

「るせっ」

「どうして怒るの?テオ、眼鏡凄く似合うよ」

「眼鏡っつーか、老眼鏡だけどな」


まだ抵抗のある老眼鏡の事を言われ、顔の温度が上昇した。 ニコニコと楽しそうに老眼鏡姿のテオを眺める。 何が楽しいんだか…と、彼は溜息をひとつ。 職場だけでなく、ここにも居た。眼鏡好きが。


「テオは今日もお仕事?」

「ああ」


パラリ。乾いた紙の音が新聞をめくる度にする。 それに時折のコーヒーを啜る音が雑じる。 一人で過ごして居た朝が、今ではどうだったか思い出せない。 の部屋かテオの部屋で二人で朝を過ごすようになり、それに馴れてしまった。 これは恋人と言えるのだろうか? ちゃんと言葉にした事はない。 ニコレッタへの返事が、いるような、いないような…となったのも、そのせいだ。




「んー?」

「今日、晩飯食いに来るか?」

「テオが作ってくれるの?来る来る!って、…あれ?」

「あ?」

「今日お仕事でしょう?」

「ああ。だから、店に」


突然のテオの申し出に、は言葉も出せずに目を見開いた。 テオにはその反応がわからなくもなかった。 それなりに名が通って来たテオの働くリストランテに、は何度となく行きたいと言っていた。 そして、その度に拒否していたのは、テオだったから。


「一体どういう風の吹き回し?」

「別に」


フロアに出るのが嫌いなテオ。 料理が美味しかったからシェフに会いたいと言われたとしても、出て行かない。 もう一人のシェフであるフリオに押し付けるか、手が離せないとか理由をつけて。 だから来ても意味がないとに話すと、ただ食事に行きたいだけだから予約をとってくれるだけでいいと彼女は言い出す。 それだけ来たいなら自分で予約を取れ言い返し、この会話はいつも同じ終わりを迎える。 何となく、を呼ぶのが嫌だった。 だからいつもそうやって誤魔化してきていた。 けれど、今夜は。


適当な時間に来ればいいとだけ言い残し、テオは自分の部屋を後にした。




次へ>>

TITLE : 蒼灰十字