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任務から春雨の船に戻り、形式だけの報告の為にあの部屋へ向う。 その足取りは、とてつもなく、果てしなく、重い。 どうせ報告しても、それには少しも聞く耳もたないのだから、このまま部屋に帰りたい。 「阿伏兎さん、歩くの早い…」 「ああ?」 がっくりと肩を落とし、地面を見つめながら歩く廊下。 先を行く阿伏兎が自分を置いてスタスタと先へ行ってしまうので、は声をかけた。 「そんなちんたら歩いてたら日が暮れちまうぞォ?」 「宇宙で日は暮れないけどね」 「………こンの、臍曲りめぇ」 眉間に皺を寄せ、ぶつくさと文句を言いながらも、阿伏兎は立ち止まって待っていてくれた。 彼の小さな優しさに、のささくれ立った心が少し癒される。 いつも笑顔のあの悪魔とは大違いだ。 そして今、のモチベーションがだだ下がりの原因は、その悪魔に他ならない。 はあの裏があり過ぎる笑顔を思い出し、大きな溜息をついた。 「ねぇ、どこ行くの?」 突然、背後からそう声をかけられ、はビクリと肩を揺らした。 気配もなく急に、しかも耳の後ろゼロ距離で、そして今まで考えていた男の声だったから。 「…だだ、団長?」 ギギギ と、錆びた古い玩具のようにゆっくり振り返ると、真後ろに神威が立っていた。 にっこりと、笑顔を浮かべながら。 「おう団長、ただいま」 「うん。おかえり」 怯えるを気遣い、阿伏兎が二人の間に割って入った。はその背中に隠れるよう身を縮こませる。 出来るだけ、神威の目に触れないように。 「あぁ〜っと…、任務の、上への報告は俺がやっとくから」 「うん」 「はもう休ませても良いだろう?」 「ん?」 「任務は滞りなく済んだ事だし…」 「ふうん、滞りなく、ねえ?」 を庇いながら、ついでに勢いでこの場を切り抜けようとしてくれた阿伏兎だったが、 神威は空気を読まずに笑顔で一蹴した。 ピシリと音を立て、空間が凍り付いたような気がする。 固まる二人を余所に、神威はひょいと身体を曲げて、阿伏兎の影に隠れているに目を向けた。 「、と ど こ お り、なく?」 改めて強調されたその言葉に、の背中につぅと冷たい汗が流れた。 流石の阿伏兎もこの状況になってしまうと、もう庇いようがない。 「ねぇ、俺には滞りなかったように見えないんだけど?」 建物を破壊しようが無関係者を巻き込もうが、そんな事彼にとって問題ではない。 それは神威自身が先頭きってやっている位だ。 逆に部下達がその尻拭いをさせられる程に。 そして上からの命令が遂行されようがされまいが、それも関係ない。 彼のご機嫌が麗しくないのは、そんな事ではなく、の身体中にある傷のせい。 「また随分とやられて来たネ?」 「…すみ、ません」 五体満足にあるものの、身体中に巻かれた包帯、肩から布で吊られた右腕。 顔の擦り傷からは、未だに血が滲み出している。 最強の戦闘種族である夜兎の、最弱な。 「弱い奴は要らないんだけど」 「……っ、」 「何なら、他の奴に殺られる前に、俺が殺っちゃおうか?」 にっこりと笑いながら言われる言葉が、の胸をえぐる。 こうやって罵られる事は判っていた。 だから神威と顔を合わせずにいたかったのだ。 もちろん、彼は自分の上長なのだから、そんな事は無理な話だけれど。 「あれ、言い返さないの?つまんない女だなあ。 強くなるかもと思って生かしておいたけど、失敗だったかな?」 次々に胸を刺す彼の言葉に、返す言葉なんて一つもない。 人間程脆くない。 現に、昨日は死にかけと言える重傷だったが、今日は普通に動く事が出来る。 でも、夜兎の強さはそんなものじゃない。 この第七師団に居られる事自体が、おかしい位だ。 弱い夜兎に、存在理由などない。 ――― でも。 不思議とここに居てはいけないと思った事は、一度もなかった。 阿伏兎も良くしてくれるが、それだけではない。 その弱さ故、一族から虐げられて捨てられたを拾ってくれたのは、他でもない、神威だったから。 「ま、いいや」 何も言い返して来ないが面白くなかったのか、呆れたようなその言葉を最後に、神威は罵るのを止めた。は気を抜けば涙が零れて来そうで、奥歯にぎゅっと力を込める。 自分の弱さが、悔しい、恨めしい。 人一倍努力しているはずなのに、どうして強くならないのか。 強くなれたら、神威に、認めてもらえるかも知れないのに。 「そんじゃ、俺はじじぃ共に報告に行ってくらァ」 とりあえず…ではあるが、神威の攻撃が収まったのを確認して、阿伏兎は去って行った。 本当は報告だって下っ端のの役目なのに、彼からの言葉を 「気にするな」 とでも言うようにポンポン背中を叩いてから。 優しくされたら、泣いてしまいそうなのに。 は、ただ、神威に認められたいだけだと、阿伏兎も判っているのだろう。 「いつまでボサッと突っ立ってるつもり?」 「…っ、ごめんなさ、」 神威の声で我に返り、顔をあげた。 そこには、変わらない神威の笑顔。 けれど、何かが違う気がする。 「じゃ、行こっか」 「え?」 冷たくなった手を取られ、は思わず身体を硬直させた。 何処へ連れて行かれるのだろうか。 怯えの色を濃くしたの瞳を見て、神威はふんと鼻を鳴らす。 「祝ってあげるって言ってるの」 一転した神威の言葉に、思考が追い付いていかない。 祝う、何を? は何なのかを頭の中でぐるぐると探し、はたとする。 一見幼くすら見える神威の顔が近付き、その口唇は、再び耳元へ向かう。 神威が少しでも口唇を動かせば触れてしまいそうな距離で囁かれ、心臓が早鐘をうつ。 「今日、誕生日でしょ?」 鼓膜に直接話しかけられているかのようなそれに力が抜けて、思わず座り込みそうになってしまう。 そうだった、今日は、の誕生日。生まれた日など覚えていないが、神威に拾われた、その日。 「ケーキもあるよ」 艶っぽかった声は明るいそれに変わり、の手を強く引いた。 神威は、自分ですら忘れていたその日を、覚えていてくれた。 そしてそれを、祝ってくれると言う。 ここに居ていいと、言ってくれている。 だったら今日はお小言もなしにしてくれれば良かったのにと、 頭の隅でチラとそんな事を考えたが、もちろん口に出す事はしない。 強くなろう、強くなろう、少しづつでもいい、彼の為に。 それも口には出さず、心の中で堅く誓った。 タタタ と、廊下を走る二つの靴音。 影で様子を見ていた阿伏兎は、の足取りが軽快になったのを確認して、今度こそ本当にその場を後にした。 |
