小十郎が居なくなってからの政宗様はまるで生気がなく、それは右目を失ったというよりは半身をもがれた竜のようで。 奥州筆頭としての役割はこなし、皆を奮い立たせ、端から見ていると以前と変わらなくも見えるが、 それが無理をしているという事はひしひしと感じていた。
実際、多くの者はそんなふうに感じていないかも知れない。 けれど、には分かる。 小十郎が居たら、彼も感じた事だろう。 否、小十郎が居ない状況だからこその今なのだから、それはあり得ないのだけれど。
・・・そう、彼が居たら政宗様がこんな状態になるはずがなく、それを思う度に自分の無力さを感じた。
「待たなくていい」
昨晩、政宗様に言われたのは、その一言だった。交わした、最後の言葉。
身体を重ねた後しばらく気を失っていたのか、目を開けると隣に政宗様は居なかった。 まだはっきりしない視界でようやく捕らえた彼は、庭へ続く障子を薄っすらと開け、張り出しで片膝を立てて座し、 濃紺にぽっかりと浮かぶ月を眺めていた。
行為の最中向けられていた熱い視線は、もうこちらへ向いてはくれない。
そのまま、そう一言告げられた。
彼はその視線の先に、何を見ていたのだろうか。
待たなくていい、それは当然ながら、戦からの帰りを待たなくていい、という事。
奥州を統べる政宗様にとって帰る場所は此処以外の何処でもなく。
その言葉はの胸の奥に、まるで鉛を飲み込んだかのように重く、重く、のし掛かる。
政宗様が一番に臨んでいる事は、この奥州の民が幸せに暮らす事で。
その政宗様が漏らした、彼らしからぬ一言。
小十郎なしで戦場へ向かうからか。 それだけの覚悟を以って、というにも、今までそんな事言うどころか考えた事すらなかっただろう。
きっと彼は、私が眠っていると思っていた。 だからこそ、誰も聞いていないと思ったからこそ、ポロリと漏らした本音だったのでは。
「様」
ふいに声を掛けられて肩を揺らした。
縁側の柱に隠れて政宗様を見守っていた。
小十郎は居ないけれど、変わらず強気な笑みと豪奢な言葉で兵を活気つかせている。
これから、出陣。
「行ってしまわれます、お声を掛けられるなら今しか…」
声を掛けられた女中にそう言われ、きゅっと口唇を噛みしめる。
彼の零したあの言葉は、聞こえていないふりをした。
政宗様が、きっとそう望んでいると思ったから。
寝返りのふりをして彼から背を向け、音を立てずに枕を濡らした。
待たなくて良いと言われた自分が、どんな顔をして見送れば良いというのだ。 声など、掛けられるはずがない。
「?」
隠れたままそっと見送るつもりだった、顔を合わせずに、見えなくなるまでその背を見つめていようと思っていた。 けれど政宗様は屋敷の陰に居た私を見付け、もう出立の時間だと言うのに傍に来て、抱き締めてくれた。
心地良い圧迫感に、目頭が熱くなる。
土埃と血の臭いが染み着いた蒼い服にしがみつき、涙を堪える。
「戻ったら温泉にでも行くか?」
「…え、」
突然の、脈絡ない政宗様の言葉に、耳を疑う。
今、何と言った?
待たなくて良いと言った私に、何と声を掛けてくださった?
「政、宗…さっ、」
名を呼ぶ前に、口唇で声を遮られる。
出立前で昂ぶる兵等から歓声があがったが、頭が追いつかずにそれらはどこか遠くの、ただの喧噪のよう。
「温泉旅行に行くなんて言ったらまた小十郎に煩く言われるだろうが、納得させてみせるぜ?」
ようやく解放された口唇からは、「ご無事で」としか、伝える事が出来なかった。
けれど、その返事は 「Yeah!」 という迷いのない声と、いつもの彼の強気な笑顔だった。
小十郎を連れて帰って来る、それ以外のなにものでもない言葉を残して。
なんて素敵な矛盾だろうか
昨晩のあの言葉が本音なのか、一時の気の迷いだったのか、弱気になっていただけなのか、それとも別れ際の言葉が偽りなのか。
それは分からないけれど、待っていようと心に決めた。彼の帰りを。
小十郎を連れて帰って来てくれるだろう、彼を信じて。
眩暈-dizziness- さまへ
written by : Under Another World (ANNA)
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