バチリ、と目を開けると、見慣れた天井が目に入り、見慣れているはずなのに感じる違和感に、もう一度目を閉じて頭の中を整理する。

 嗚呼、そうだ。

 団長達と地球…あの夜王が自分の為に造り上げた桃源郷へ降り、片腕を落として船へ帰還してから、 三日三晩寝ずに団長の尻拭いと、更には団長の要望通りになるよう四方八方へ手を回したのだった。 身体を動かす仕事は何ていう事はないが、そういう仕事は自分の上司があんなでなかったらやりたくもない。 まあ、苦手でもないのだが。
 そうしてひと段落して自室へ戻り、船の薄い壁越しに団長の抱く女の喘ぎ声を聴きながら、泥のように眠りについたのだ。 直属の部下が苦労して仕事をしていたというのに、きっと奴は戻ってから寝ずにあの女を抱き続けていたに違いない。 全くご苦労な事だ。
 今は耳を澄ましても隣からは物音ひとつ聞こえてこない。 地球に降りてから昂ぶったままだったようだが、ようやく落ち着く事ができたのだろうか、あの戦闘以外は全くダメなろくでなし団長は。

 ほんの少しの間でここ数日の事を思い出し、阿伏兎は鼻で小さく溜息をついてから身体を起こし、何の飾り気もない薄暗い自室を後にした。

 ふしゅう、とドアが開き、阿伏兎は足を進めた。 腹が減っている気がするが、とりあえずは喉を潤して目を覚ますのが先決だ。 宇宙では昼と夜の区別がつきにくいが、人っ子ひとり見当たらないところを見ると今は夜中なのだろう。 昨晩泥のように眠りについてから少なくとも24時間は寝ていたはずだ。 身体の気怠さからすると、もしかしたら46時間以上経っているのかも知れない。 一度食堂に寄って飲み物を取り、阿伏兎はある場所へ向かった。

 船の端の上部にある小さな空間。そこだけ一面強化ガラスで出来ていて、宇宙を見渡せるようになっている場所。 船大工の拘りなのか何なのか、海賊の船にはあまりにも不似合いで不必要なそのスペースは、阿伏兎のちょっとした憩いの場所だった。 といっても、宇宙を見渡して感慨に耽るとか、そういった事はない。 ただ、狭くて暗い圧迫感のある自室より若干開放的で、いつも人がいない、という理由で。

 ふしゅう、と自室と同じ音を立てて開いたドアの先を見て、阿伏兎は一瞬固まった。
 遊覧船や観光船だったらカップルなどに人気が出そうな場所であるが、この春雨では誰も寄り付かない。 今日も誰もいないと思って入ろうとしたスペースに、人が、居た。 それも、この船には異質な、娼婦(おんな)
 阿伏兎は一瞬自室に戻る事も考えたが、この狭い部屋で、しかも音を立てて開いたドアに女が気付いていないはずもなく、このままは引き返せない。 ほんの少し気まずさを感じて頭の後ろをボリボリと掻きながら中へと入り、 ガラスの前で宇宙そらに向かって立っている女の後ろを通り過ぎ、奥の階段へ腰かけた。

 ボトルの冷たい飲み物を一口ぐいと飲み、さり気なく女を見やる。
 じっとその場に立って外を見続けているその女。 それは美しいものを見るようでも、悲しいものを見るようでも、ただぼうっと眺めているようでもなく、気付けば阿伏兎は女に声をかけていた。

「そんなに珍しい景色かねぇ」

 別段その女に興味をもっていた訳でもないのに声をかけていた自分に、阿伏兎自身驚いていた。 誰もいないと思って来た場所に居た、疎ましくもある存在だというのに、仲良く茶でも飲みながら会話を楽しもうとしていた訳でもないのに。
 人形のようにピクリとも動かなかった女は、一瞬だけ驚いたような顔をガラス越しに阿伏兎へ向けてから、ゆっくりと振り返った。

「そうね、青い空だってこの間初めて見たのに、宇宙まで眺められる日が来るとは思わなかった」

 うっすらと笑みを浮かべながらそう言う女にどこか違和感を感じた。 そういう台詞は、普通もう少し楽しげに言うもんじゃないのか?
 しかし、今はそんな事より、振り向いた彼女に頭を抱えたくなっていた。

「そんな恰好で 船ん中彷徨ってっと、襲われても文句言えねェぞ」

「…嗚呼、」

 抱かれたそのまま部屋から抜けて来たのだろう。 白粉が取れてすっかり素顔が見え、薄い着物は肌蹴て鎖骨どころか乳房まで晒しそうな程だ。 なのに口唇だけ異様に紅く、極上な女…では決してないのに、艶っぽく見えるのは、 つい先刻まで男に抱かれていたからか、それとも彼女の生きてきた世界のせいか。

神威あのひとが連れてきた女に 手を出すような人がこの舟に居るようには見えなかったけれど…そうね、女としては、だらしないかも知れない」

 女は細く白い不健康そうな指で簡単に身なりを整え、ガラスの前にある手摺りに寄り掛かり、煙管に火を入れた。
 “神威が連れて来た女に手を出すような人が居るようには見えなかった”
 何というか、察しが良いというか、洞察力があるというか、残念ながら全くその通りだ。
 目の前に居る女 ――― は、崩壊した吉原から団長が自分と一緒に引きずって帰ってきた女だ。 戻ってすぐに部屋へ連れ込まれていたから、この船の様子を見たのは、帰還の時のみ。 部屋までの短い距離だけで船内の力関係まで見抜いていたというのか。 まるで獣のようだと思ったが、それもの育った環境のせいかも知れない。

 紅い口唇からふうと煙を吐き出す姿に、一瞬だけ心臓が跳ねた。 真っ白い蛍光灯に反射する紫煙は、より濃く見える。


 あの吉原ばしょにはよりイイ女がごまんと居たのに、団長はどうしてこの女を連れて来たのだろうか。 この女である必要が、あったのだろうか。


 赤提灯の妖しい明りの中、囚人のように、幽霊のように、木の柵の中から おいでおいで と手招きをする数多くの遊女たちの中から、 だけを連れ出した。 艶めかしくて、ケバケバしくて、はっきり言って遊び以外では何の対象にもならないような女達のなかから。 あえて他の女たちとの違いを挙げるならば、は客をとる為に男たちに手を伸ばす事をしていなかったくらいだ。 けれどそれとて阿伏兎からすれば他の女たちとそう大差はない。
 日輪までとはいわないが、あんな荒んだ見世ではなくてもっと格の高い、本当にイイ女だって多く居たというのに、何故。

「この女のどこが良いんだろうって、顔に書いてあるよ」

「…え、」

 心の中を読み取られて冷汗が一筋流れた。 そんな目でジロジロ見ていたのだろうか。 焦りを感じたけれど、本当の事だから否定は出来ない。

「ええーとォ、その、すまねェな…純粋に、興味だ」

「ふふ、いいよ、あたしだって不思議なんだから」

 くすりと笑いながら言うに、再び引っ掛かる何かを感じた。何なのだろうか、これは一体。

「売り上げだって中の下の女。 かと言って別に逃げたいとも思っていなかったから私が訴えた訳でもないし、 目が合った瞬間に恋に落ちたなんて感じでもなかった。 だから神威あのひとは、 何も考えてない、本当にただの気紛れだったんじゃないかしら」

 自分を卑下するような言葉を、他人事のようにサラリと言ってのける。 変わらない、薄い笑みをその顔に張り付けて。

 話しが続かない気まずさとは違う、と居るとどこか居心地が悪い気がして、阿伏兎は階段から腰を上げた。

「まァ、団長なりに、どこか惹かれるところがあったんじゃないかねぇ」

「あら、慰めてくれてる?直属の部下も大変ね」

「……可愛くねェなぁ」

「あら、本心だった?ごめんなさい」

 謝罪の言葉を告げるその表情も笑顔のまま。三度感じた違和感と同時に、阿伏兎はある事に気付いた。


 嗚呼、この女は、あの人と同じだ。


 に感じていた違和感の正体。
 それは、笑っているのに、笑っていないその表情。 ぺったりと張り付けたような笑みをするあの人より幾分表情が変わるから分りにくいが、純粋な笑みではないのは、あの人と同じだ。 ――― 団長と。
 そして自分自身に興味がないところもそっくりだ。 違いは、団長は強い奴を求めているが、は何も求めていないところか。

 ――― だから、か?

 団長あのひとは、それに気付いているのだろうか。
 もしかしたら、本人もそれに気付かずにを連れて来たのかも知れない。

「ありがとう。優しいのね、阿伏兎さん」

 狭い空間を横切り、その部屋を後にしようとした時、向けられたキレイな笑顔。
 違和感のない、美しい女の、キレイな笑顔だった。
 否、違和感すら感じさせない程の、貼り付けた顔の下を上手に隠した笑顔なのかも知れないけれど。 けれど、それに魅力を感じたのは確かだった。

 阿伏兎は一瞬胸に芽生えた小さな感情を宇宙の彼方へほおり投げ、部屋を出た。
 ふしゅう、というドアが開くと同時に 「イイ女じゃねぇかコンチクショウ」 という阿伏兎の呟きは、 優雅な仕草とともに紅い紅い口唇から吐き出された紫煙に溶けて消えていった。

 阿伏兎が見たら “違和感を感じる” だろう笑みをそっと浮かべたを、振り返って見る事もなく。



Written by : ANNA ( Under Another World )
Image by : HELIUM



素敵な企画を立ち上げてくれた事、心から感謝しています!
サっちゃん、ありがとう!!